7月5日に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されて以来、すっかり世界遺産ブームですね!
歴史大好きドライバーとしては、普段観光のご案内しているところが注目されて鼻が高いです( ̄∇ ̄)ゞ笑
龍馬が初めて長崎に来た道とその頃の長崎の町並みをご案内します、案内人はおなじみクロちゃんです!(^^)
2010年の大河ドラマ「龍馬伝」で2度目の龍馬ブームとなった長崎!
最初の龍馬ブームは、司馬遼太郎さんの歴史小説「竜馬がゆく」です。
今回は、2015年6月に世界遺産に登録されたばかりの「明治日本の産業革命遺産」を坂本龍馬も見ています。
今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で元治元年(1864年7月)京都御所で起きた「蛤御門の変(禁門の変)」こんな大変な頃に龍馬は長崎に訪れています。
タイムスリップして、この時代の島原観光と長崎観光をしてみよう! GO!
(1)文久4年2月22日の早朝:島原港に上陸
龍馬の長崎初上陸の地は島原だった!
四か国連合艦隊の長州攻撃阻止の幕命を帯びた勝海舟の随員は大目付など役人、坂本龍馬ら総勢50人ほど。
一行は、文久4年(1864年)2月14日に神戸港を出航。
瀬戸内海をわたり大分佐賀関に上陸、そこから豊後街道で九州を横断し20日に熊本に到着しました。
翌21日夜、有明海をわたり明けがた島原に上陸。
*作家の司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」では、島原ではなく伊万里子港に上陸となっている。
この歴史説は、2010年の大河ドラマ「竜馬伝」の放送の際、採用された説「海舟日記」!
*この風景だけで、1時間は楽しめます (^。^)y-.。O○
早朝の島原港に勝海舟・坂本龍馬の一行の様子が今でも見えるようです!!!
(2)文久4年2月22日:島原城(森岳城)を右目
島原に上陸した龍馬らが、まず訪れたのが「城下本陣古町別当中村家」。
(当時は中堀町商店街にありましたが、現在は萩原1丁目に移築されています)
ここで朝食を取り島原城を右目に見ながら、急ぎ島原街道(往路:千々石道)を通り、一路長崎へ。
*島原城(別名:森岳城、高来城)は、元和4年(1618年)から7年余をかけて築かれた。
有名な「島原の乱」のきっかけの一つになった城です。
(3)文久4年2月23日:長崎奉行所立山役所
島原街道から途中、長崎街道を通り、最後の難:西の箱根とも呼ばれる「日見峠」を超えて、
2月23日に長崎に到着。
*龍馬が歩いた道を散策したい人向けに、ウォーキングコースとしても人気のスポットですね(^。^)y-.。O○
長崎で最初に通されたのは、「長崎奉行所立山役所」。
ここで、長崎奉行から四か国連合艦隊の状況を聞き、長崎での宿泊所、「福済寺」にて約1か月間、長崎に滞在した。
*崇福寺、興福寺とともに「長崎三福寺」、聖福寺も加えると「長崎四福寺」と呼ばれる寺院ですね。
(4)龍馬が見た長崎(世界遺産)
2015年6月、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」登録したグラバー住宅。
グラバー住宅は、文久3年(1863年)に、この地に建てられた日本最古の木造洋館です。
*龍馬はこの滞在中に勝海舟のすすめで、グラバー住宅にグラバーを訪ねている。
当時グラバー住宅の屋根裏部屋に隠れ住んでいた「五代 友厚(ごだい ともあつ)」と話をする機会が訪れる。
この時初めて、「議会」というものを知り、後の「船中八策」へとつながってゆく・・・ (p_-)
2016年、世界遺産「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」登録目標。
大浦天主堂は、元治元年(1864年)完成した、わが国最古のゴシック様式の教会です。
*龍馬の滞在中(2月23日~4月4日)、大浦天主堂は完成間近! \(^o^)/
この建造物を龍馬も同じように見たのです! 感動!!!
(5)楽しかった長崎滞在を終え、復路は島原観光!
帰りはゆっくり、島原街道(復路:北目道)を通り、島原港から熊本へ。
勝海舟・龍馬も立ち寄った「神代(コウジロウ)鍋島邸」(正式名称:国見神代小路歴史文化公園鍋島邸)。
慶長13年(1608年)この地の領主となった「鍋島豊前守信房」の邸宅で、改修を終えたばかりで、
平成26年から見学も可能になりました。見どころ満載!
*国指定重要文化財なので、散策するときはマナーを守ってお行儀よく!(・_・;)
龍馬もこの水路を通り、島原港へ行ったであろう!
この水路は、宮崎康平原作:2008年上映の「まぼろしの邪馬台国」のロケ地で江戸時代の景観の残る
素晴らしい武家屋敷跡です。
*この水路を抜けたあたりに、吉田松陰の「西遊日記」の中で紹介される島原藩士・宮川邸もある。
島原は観光名所や数々の作品の舞台が多く、全部見てまわるにもタイヘン(p_-)