「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産に推薦!ということで、今とびきりHOTな平戸の魅力スポットをお伝えします。
おとなの旅、平戸観光をご案内するのはクロちゃんです!(^^)
長崎観光をされた方は、平戸観光を是非お勧めしたい!
修学旅行などで長崎市内中心部の観光は、沢山の方が経験されていますが、長崎と平戸には色々と共通点が多い。
そんな共通点を発見するおとなの旅の参考になれればうれしいです。
(1)平戸城
元禄16年(1703年)、30代平戸藩主・松浦 棟(マツラ タカシ)が幕府の許可を得て享保3年(1718年)に完成した。
別名、亀岡城・朝日獄城・玄武城とも呼ばれている。
山鹿素行(1622~1685)の築城法により縄張をしたという。
※吉田松陰も平戸の積徳堂(山鹿流兵法)を訪れている。
※作家の司馬遼太郎さんも街道をゆくシリーズで、
「景観の中の城として日本でもっとも美しいのは平戸城だと思うが、、、」
※ライトアップされた平戸城をホテルの露天風呂で見る! 超贅沢!!!
『北虎口門(きたこぐちもん)』
往時の木造遺構としては北虎口門と多聞櫓(たもんやぐら)が現在する。
それ以外は、昭和37年(1962年)に復元!
『幸橋(さいわいばし)』
昔、城と城下町は舟で結ばれていた。
寛文9年(1669年)、木橋がかけられ幸橋と呼ばれた。
元禄15年(1702年)、オランダ商館の石造技術を駆使して改築した。
別名オランダ橋と呼ばれた。
※長崎のどこかで見た風景?
…答えはそう、長崎市の中島川にかかる、眼鏡橋!(^◇^)
(2)ポルトガル船入港の地
『フランシスコ・ザビエル像』
天文19年(1550年)、フランシスコ・ザビエルは、肥前平戸でキリスト教の布教を開始する。
※写真の石像は、松浦史料博物館へのメインストリートに立ち並ぶ石像のひとつ!
そのほか、縁のある各著名人の像が立ち並んでいて、平戸の街並みを楽しみながら歴史に触れられます(^^)
永禄4年(1561年)、生糸の取引値段のことから殺傷事件となる宮の前事件。
※その現場が写真の場所になる。 (p_-)
この事件以降、南蛮貿易は平戸から長崎(大村領)へと移ってしまう。
(3)阿蘭陀商館
最近復元されたオランダ商館は、寛永16年(1639年)に完成した巨大な石造倉庫であり、日本ではじめての洋風建築物でした。
※朝もやのオランダ商館! 絵になります。 (-。-)y-゜゜゜
2年後の寛永18年(1641年)に長崎の出島に引っ越し!
(なんのために頑張って作ったの? (@_@;))
『常燈(じょうとう)の鼻』
元和2年(1616年)、平戸港に出入りする船の航海安全を図り築造された石灯台。
石垣が明らかに日本のものと違う!
『オランダ塀』
元和4年(1618年)築造。 オランダ商館の本館、倉庫、火薬庫、病院等を増設した際に、
これらの目隠しとして建てられた石垣が今も残されています。
塀の高さは約2m、その目的どおり、塀の向こうはそうそう簡単に見えませんね…(^◇^;)
(4)魅力的な寺院
平戸の観光ガイドブックの表紙で良く見かける「寺院と教会の見える風景」、この場所での写真はおすすめ!
西洋と東洋が混ぜ合わさった神秘的な景色を、ぜひその目でお確かめください。
聖フランシスコ・ザビエル記念教会の裏手から、わかりやすく案内されてますよ!
『最教寺(三重大塔・霊宝館)』
大同元年(806年)、空海(弘法大師)の開基と伝えられ、その後、曹洞宗瑞雲寺の末寺となったが、
慶長年間(1596~1615年)に松浦家29代鎮信(しげのぶ)によって再建。
※子泣き相撲で有名なお寺!県外の方から参加される方も多く、毎年節分に境内で行われます。
赤ちゃんの元気な声で悪いものを祓い、健康を祈願したいですね(^^)
(5)王直の居宅跡
王直(五峰王直・本名は「金呈(テイ)」)が松浦氏からこの土地をもらって、唐様の壮大な屋敷をかまえました。
大ヒット漫画、ONE PIECE(ワンピース)にも登場する東シナ海の海賊王「王直(倭寇)」!
平戸に外国の貿易船がやってくることの契機をなしたのが、王直です。
明末の海賊である王直については、被害を受けた中国側に文献が多く残されています。
県外から観光に来られた方だけでなく、日頃長崎市内にお住まいの方も
ちょっと足を延ばして平戸観光…あれ、ここどこかでみたような?ってなるかもしれませんね。
予習してドライバーと答え合わせするもよし、初見で観光してドライバーの”うんちく”(豆知識?)に耳を傾けるのもよし、オトナ旅の楽しみ方はあなた次第です♪(^^)