今回は神奈川県川崎市からお越しの富田様を、ゆきまろがご案内させていただきました。
写真の場所は亀山社中記念館です。こちらは山の中腹にあり富田様には階段150段下り亀山社中を見学し、そこからまた200段下った所にタクシーでお迎えに行く行程にさせていただきました。
なぜこんな山の中の辺ぴな場所に?と思われるでしょうが、理由は
1.社中の出資者である小曽根家の空き地に入ったのですが、はっきり言えば坂本龍馬達一行は最初は軽んじられていました。
給料は三両二分(現在で15万円前後)、これは土佐藩で云えば下級留学生並です。
2.薩摩藩の小松帯刀の手紙に龍馬達を、航海の手先として雇うとあります。
海で働く者は、船の出入りが解る場所に居る必要性があったのですね。今は、 海…..見えませんが(・◇・)
3.真下に長崎奉行所も見えます。
私の憶測ですが、龍馬の奉行所に対する言動、また幕末の薩摩藩の性格からして長崎奉行所監視の役目もあったのではと想われます。
龍馬はこの地を薩摩と長州を経済的に結びつける拠点とし、後の薩長同盟へと発展させました。
龍馬が夢を描いた亀山社中に傍らに立ち、仕事ができる幸せを感じるタクシードライバーのゆきまろでした。